・最初に個人的な雑感
当ブログの書評。
私なりの考え方を発信。
私なりの書評として行っています。
それを踏まえて聞いてください。
「共感」という部分です。
ブログもTwitterもになります。
発信者として共感してもらえるのは嬉しいです。
それに「共感」って部分は本当に大切だと感じます。
その一方で違う部分の共感になります。
もう1度言いますが、私的に感じる部分が強いこと。
「共感=同調圧力」
昨今、感じることになります。
同調圧力になっている方々が増えている。
炎上案件で違う意見を言うと攻撃的な人が増えている。
もちろん、意見の質という部分もあるかと思います。
ただ、一理あるよねって意見が低評価過ぎる。
全否定して来る人が増えている印象があります。
これが私的に思う「共感という病」だと感じます。
それを踏まえて個人的な部分もあったので本書の知見をインストールです。
書名:共感という病
著者:永井 陽右
出版社:かんき出版
出版年:2021年7月16日
ページ数:240ページ
いきすぎた同調圧力とどう向き合うか。
胡散臭いけど、逆らえない。
共感中毒時代の生き方・働き方。
私は同調圧力と言う部分。
何かおかしいと思ったら発信してしまう。
別の視点もあるんじゃないの?と言うタイプです。
昨今だと炎上しすぎてしまう部分。
行き過ぎた発言で炎上する。
最初に炎上するのは仕方ないと思います。
本人が謝罪したり反省したりしてるのに追い打ちの炎上。
「私刑」になる流れはもっと問題提起されるべきかと思っています。
言動の「動」の部分です。
これで炎上するのは気持ち的にわかります。
「犯罪行為で捕まった」という話です。
ただ、「言」の部分で警察にも捕まっていない。
ずっと燃え続けている現代の世の中。
ちょっと怖いと思ってしまいますね…。
もう1度、言いますが本人が反省してたりするのに追い打ちかける流れです。
いろいろ「共感」について考える機会になる本書を紹介していきます。
・共感の負の側面を本書では紹介している
(P.7) 本書が何かしらの救いであったり、問題提起となることを願っています。そしてぜひ皆さんとともに、共感について、そして社会と世界を良くする方法について、考えていくことができたら、それ以上の喜びはありません。
【目次】
はじめに
第1章:キモくて金のないおっさんは、なぜ共感されないのか?
第2章:共感中毒がもたらす負の連鎖
第3章:紛争地域から見る共感との付き合い方
特別対談:石川優実
第4章:戦略的対話:わかりあえない相手とのコミュニケーション
第5章:基本的に人はわかりあえない
第6章:共感にあらがえ
特別対談×内田樹
おわりに
本書の目次と概要です。
最初から私的語りが多いですが…。
本書は読んでいて切り込んでいると思いました。
私自身がモヤモヤしている部分。
感じていたことは共感という病かもしれません。
僭越ながらここからは私なりの書評させていただきます。
(P.17) どこまでも個々人が持つバイアスに振り回されることになり、結果として共感は、全員ではなく特定の誰かしか照らさない「スポットライト的性質」と、自分にとって照らすべきだと思えた相手しか照らさない「指向性」を持つことになってしまうのです。
情報を鵜呑みにしない。
疑うと言うより鵜呑みにしないが大切。
あくまでも本書は共感という病です。
昨今はニュースだけではない。
「コメント欄」があります。
これはTwitterのトレンドもそうです。
自分の考えではなく流されてしまう。
一定方向にコメントが流れてることが多いと感じます。
これはヤフーニュースを見ると分かりやすい。
片方の記事は否定的なコメントが多い。
片方の記事は共感や援護のコメントが多い。
同じニュース記事を取り上げてるのになんですよね。
コメント欄の流れを見てコメントする。
これも「同調圧力」だと思っています。
同じこと取り扱ってるのにおかしな話ですよね…。
現代はこういう視点を持っておくの本当に大切だと思います。
(P.39) 共感できるかできないかということは評価にも繋がっているともいえ、本や映画のレビューなどにも見受けられます。例えば「共感できてすごく良かった!」や「全然共感できなくて意味不明でした」などです。なんにせよ、お金に直接繋がらなくても(実際は多くの場合繋がっていますが)、何かプラスなものを得るために、私たちはうまいこと自分に共感してもらえるよう、さまざまな工夫をしているのです。
繰り返しますが、本書は共感という病。
人それぞれの意見があるのは当たり前なんです。
流されないで自分の考え方をしっかり持つの大切。
昨今、私が感じる部分になります。
「条件反射の人が増えた」
1つのツイートの内容に過剰に反応する。
条件反射という部分でツイートしてしまう人。
1度、冷静に考えてみる。
「共感」って部分でも思うんです。
自分自身で確認する作業は大事だと思います。
私はどちらの視点でもまずは考えるようにはしています。
(P.47) 何も考えなくとも半ば本能的に理解できるよう周到に用意された社会課題とその解決策に、人々が慣れていった先に何があるのでしょうか。さらに悪化する、そしてかんたんに扇動されるようになる、など深刻な問題が多数発生することもあるのです。そう考えると、自らの共感を他者に意図的に使われることの怖さをひしひしと感じます。
「簡単に扇動されるようになる」
今のマスメディアはまさしくです。
マスメディアに限りません。
ブランディング。
コピーライティング。
そういうことを駆使している。
そこで心理学的な方向で誘導する。
扇動されているかもしれないと疑う。
ここは本当に第一歩だと思います。
大手マスメディアだから安心して読めるも無いのです。
恨みや妬みや個人的に嫌いがある上で書いてる記者もいるでしょう。
鵜呑みにせずに一呼吸おいて考える。
自分なりの視点を日頃から持っておく。
扇動されないように軸があるのは大事だと思います。
私自身もこの辺りは裏読みも大切にするようにしています。
(P.133-134) 私たちは対話が大切ということは常識としているからこそ、漫然と対話してしまいがちです。対話するだけでも意味はあるのですが、戦略的対話では深い理解を目的としているので、極めて具体的な目標設定が成功への大きな条件となるのです。
もちろん、無くなればいいと思います。
ただ、無くならないと思うんですよね…。
盛り上がってるところに条件反射でコメントつける人。
関係性が無いのに否定してくる人は絶対に無くらないと思います。
著者である永井陽右さんとは違う視点だと感じます。
私が思うこの部分です。
「戦略的対話では深い理解を目的としている」
戦略的と聞くとです。
打算的に思う人もいるかもしれません。
私はそうではなく「関係性が大事」だと思っています。
これは別の視点で話すとです。
関係性ない人に疲弊しすぎている。
全員に親切にするのは尊いことでもある。
しかし、全員が全員、聖人君子でもありません。
この辺りのバランス感覚。
そこが日頃からの関係性だと思うんです。
対話で疲れてやめてしまうは勿体ない。
自分が話して楽しい人と対話を重ねるのもいいんじゃないでしょうか。
(P.163) 提案としては、一度私たちは他者なんてものとわかりあうことはできない、としたうえで、そんな中で一体全体どうすれば他者とうまいこと共存していけるのか、と考えていくことです。こうしたほうが余計な問題が生まれにくく、真に地に足がついた話し合いや思考ができるはずです。
前提条件として仰る通り。
人それぞれの考え方があるのは当たり前。
当たり前なんですが、精神攻撃をし過ぎている。
共感という病=扇動の影響受けたり同調圧力でコメントしている
この辺りを意識するのは必要だと思います。
自分たちで今後の未来を生き辛くしている。
有名人だと気に入らないってだけでアンチになる。
誹謗中傷や罵詈雑言する人はまだまだ居ると思うんです。
ただ、それって今後の自分たちの発言にブーメランとして返ってくる。
だから、スルーするってことも必要だと思うんです。
例えば、少し前まではYouTubeで勝手にやってろ。
このような意見も多かった時代があります。
昨今はマスメディアが面白おかしくYouTube案件を取り上げる。
そこから大炎上してアクセスやコメントのランキングで上位も多いです。
先程も語った通り。
警察に逮捕されてしまう案件は別です。
「言動の言の部分での大炎上」
こちらを言いたいんですよね…。
マスメディアも狙いがあって扇動している。
感情的になるのではなくいったん自分の考えを咀嚼する。
共感という病に陥らないためにもこのフェーズは大事なんじゃないでしょうか。
【共感という病】
・もっともっと自分の頭で考えよう
【新刊】 共感が流行り病になりそうな時代 永井陽右の共感という病でした。
現代のマスメディア。
扇動するのが本当に上手。
これを踏まえた上で情報を咀嚼する。
条件反射や鵜呑みにせずに一呼吸。
殺伐とした世の中は嫌ですよね。
「共感という病=行き過ぎた同調圧力」
私は本書をこの視点で読んだ部分あります。
そうならないように日頃から自分の発信には気をつけたいですね。