・テレビで大反響のおくりびとの視点
「おくりびと」という言葉。
映画も話題になりました。
知っている人も多いかもしれません。
本書は深い視点で考えるキッカケをいただきました。
あなたは死生観についてどう思われますか?
どう思うと言うか死生観についてになります。
私に関しては死ぬまでに爪痕を残しておきたい。
自己実現と死生観が結びついているかもしれません。
例えば、南海トラフ巨大地震が来たとします。
私の住んでいる地域は震度6か下手したら震度7かもしれません。
そのときに生きている保証なんてありません。
これは暗い話をしているわけではなくて死生観についてです。
そのときに仮に死んでしまったとします。
当ブログは1日も休まずに2013年12月31日から7年以上毎日投稿。
はてなブログ連続投稿2572日目になります。
そんな人が1週間は死んでなくても更新出来なくてはありえます。
それが、1ヵ月、半年、1年と続いた場合。
南海トラフ巨大地震の日からピタッと止まっている。
気にかけてくれる人が居たら良いなと思っています。
これは悲観的な意味合いはまったくなくそれくらいの気持ちです。
ということで、おくりびとの方の視点を注入していきましょう。
書名:だれかの記憶に生きていく
著者:木村 光希
出版社:朝日新聞出版
出版年:2020年11月20日
ページ数:195ページ
最期から逆算する生き方。
人はいつか必ず死ぬ。
でも記憶の中で生き続ける。
本書は本当に言葉の1つ1つに重みがあります。
おくりびとの方の新刊を書評させていただきます。
・どう生きるかを考えてみる時間
(P.13) 本書ではこれまで経験してきたさまざまなお別れに触れながら、ぼくがなにを見て、なにを感じ、またなにを考えてきたかをまとめていきたいと思います。ページをめくる時間が、みなさんにとって「どう生きるか」を考える時間になればうれしいです。
【目次】
序章
第1章:どう生きるかは、どう憶えられてきたか
第2章:あたらしい納棺
第3章:人生を「知る」ということ
第4章:大切なひとをどうおくるのか
終章:これからの時代の、おくられ方
本書の概要と目次です。
自分の死についてもそうですが別の方向。
大事な人の死というのもあります。
生きていたら絶対に遭遇すること。
日頃は日常の忙しさに黙殺されてしまう。
だから本書のような書籍を読んで考えてみる。
考えるキッカケになるのは素晴らしいことです。
僭越ながら私なりの書評をしていきます。
(P.28) 納棺師であるぼくにとって死は「日常」。とてもリアルなものです。「当たり前の日々は、決して当たり前じゃない」と理解し、痛いほど実感しています。だから、この命を1秒たりとも無駄にしたくないと思うし、よりよい生き方とは一体なにか、真剣に考えてしまう。それが、納棺師の「職業柄」と言えるかもしれません。
とても重みがある言葉です。
惰性的に生きた1日。
能動的に生きた1日。
同じ1日でも密度が変わってしまいます。
死に向けて1秒1秒進んでいる。
だったら命を1秒たりとも無駄にしない。
意識的に能動的に動いていきたいですね。
よりよい生き方を真剣に考えるの大切じゃないでしょうか。
(P.34-35) みなさんにお伝えしたいのは、むしろ死は、その存在を知っておくことで自分の味方にできるということです。なぜか。自分が迎えるであろう死を想定し、逆算することで、「どう生きるか」を真剣に考えるきっかけになるからです。死を考えることは、生を考えること。生きる意味を問い、「どう生きるか」を考えることにつながります。その存在を頭に置いておくだけで、今日の行動や目の前のひとを見る目が変わる。そうすることで、日々をより濃く、豊かなものにできるのではないでしょうか。
死について考えると言う部分。
腫れ物に触るようになってしまう。
悲観的に思われるのでは無いかと感じる。
皆様も持ち合わせたりするんじゃないでしょうか。
だからこそしっかり考えておく。
「死を考えることは生を考えること」
今日の行動を無駄にするのは人生が長いと思っているから。
その長いは果たして正解なのかどうかなんて誰もわかりません。
1日1日を密度を濃くして濃密にして行動していきたいです。
(P.43) ぼくはこの6ヵ月のリズムを意識すると調子がいいのですが、もちろん人によってペースはさまざま。6ヵ月ではなく1年、あるいは2年という方もいらっしゃるでしょう。いずれにしても、死を意識して、命の期限を設けてみることです。そうすることで「やりたいこと」「やったほうがいいこと」「やりたくないこと」「やらなくていいこと」が、自然と浮き上がってくるはずです。
先程も書いた通りになります。
人生まだまだ時間があると思ってしまう。
だから1日くらいとダラダラしてしまう。
1日くらい惰性的に過ごしてしまう。
結局の所ここだと思います。
著者である木村 光希さんの仰ること。
死を意識して6ヵ月なり1年なり生きてみる。
確かに残り時間の猶予を考えると無駄にできませんよね。
自分もこの辺りを意識してじっくり考える時間をまず作りたいです。
(P.56-57) 死生観を持つとどうなるのか、ピンときづらいかもしれません。でも、こうした日々のちいさな「幸せ」の感覚を得られるだけでも、死とはなにか、生きるとはなにか考え、自分の死生観を磨く価値があるのではないかと思います。繰り返しになりますが、まずは死を「他人のもの」「いつ来るかわからないもの」だと拒絶せず、「自分のこと」「いつ来てもおかしくないもの」だと受け入れるところからはじめてみましょう。そのうえで「どう生きるか」、考えてみてほしいと思います。
「日本人は死について考えることを避ける」
仰る通りと感じる人も多いんじゃないでしょうか。
家族や恋人や友人と死について話してみる。
場の雰囲気などを考えてなかなかできませんよね。
それが日本人の気質なのかもしれません。
しかし、そこから一歩踏み込んで考えておく。
本書を読むだけでも死について考える機会になりました。
自分の死も他人の死もいつ訪れるかわかりません。
だからこそ毎日を生ききるという気持ちを強く持ちたいです。
【だれかの記憶に生きていく】
・いつ何が起きるかわからない時代だからこそ
【新刊】 最期から逆算 木村光希のだれかの記憶に生きていくでした。
生きていたら何が起きるかわかりません。
地震などの災害で突然、命を失ってしまう。
そして去年からだと新型コロナウイルス。
有名人がお亡くなりになる出来事も起きてショッキングです。
こういう時代だからこそ死について向き合い考えておく。
毎日の生活を大切にしながら生きていきたいですね。