【座右の書】ネタ被りも書くべし! フラットに生きる50の指針

・座右の書と言えるおちまさとさんの書籍

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定期的に紹介している私の座右の書。

私が何度も読み直している書籍。

それでいてブログで紹介しようと思った本です。

座右の書は大体は年数がすごく経っています。

 

今回の座右の書である、おちまさとさんのフラットに生きる50の指針。

2012年2月21日に出版された本です。

今日のブログ記事を書く日付から約6年半前に出版されています。

こんなに経ってしまったんですねと言うのが私の感想です。

 

私は本を読んで気に入った著者。

掘り下げてその人の過去本も読むタイプです。

私が本格的に本を読み始めたのは2011年~2012年辺りだと思います。

なんで記憶しているかと言うと今回の本の出版された日付です。

私が読んだときはおちまさとさんの最新本と思った記憶があるんですよ。

おぼろげながらですけど、そのような記憶がうっすらと残っています。

 

おちまさとさんの最新本と思ったということでその前に何冊か。

おちまさとさんの書籍は読んでいました。

おぼろげながらの記憶を探るために少し調べてみました。

 

・どうしても、すぐ変わりたい人のための「自分プロデュース」術

・「気づく」技術

・25歳からのひとりコングロマリットという働き方 ~仕事も肩書きもひとつじゃなくていい~

 

2003年1月1日にPHP研究所から出版。

2011年11月11日にダイヤモンド社から出版。

2012年1月25日に大和書房から出版。

 

今回の書評の本と含めて計4冊の本を読んでいることになります。

最初に読んだのは「「気づく」技術」です。

この「気づく」技術がとてつもなく良かった。

おちまさとさんの考え方に惚れ込みました。

この記憶は間違いなしですし、なぜならば先ほど書いたことです。

 

私は気に入った著者は掘り下げると書きました。

他に読もうと思って読んだ書籍が最初に挙げた本。

どうしても、すぐ変わりたい人のための「自分プロデュース」術です。

最後に挙げた本は本田直之さんの共著という形です。

おちまさとさんの本ではこの本が最後に読んでいると思います。

最新本の時期に読んだのはこの本と勘違いしている可能性もあると思いました。

 

どちらにせよ、約6年半前の書籍なのに驚愕です。

そんなにも月日が経っていることが驚愕でした。

今回は書評するために久しぶりに読んでみました。

今でも使える思考回路と言いますか考え方。

色あせない多彩な考え方が満載ですよ。

 

 

書名:フラットに生きる50の指針

著者:おちまさと

出版社:ベストセラーズ

出版年:2012年2月21日

ページ数:215ページ

 

 

私はダイヤモンド社から出版された本。

「「気づく」技術」についてもベタ褒めでオススメです。

この書籍を読んで、おちまさとさんにハマった。

おちまさとさんの考え方を取り入れたいと思いましたからね。

それでは、久しぶりに座右の書を紹介しようと思います。

 

・あなたの頭の中をこねくり回してくれるであろうオススメ本

はじめに
第1章:フラットに思考する
第2章:自分を再発見する
第3章:「今」をみつめる
第4章:チャンスをプロデュースする

 

(P.3) ここに書いた「50の指針」は、3・11以降、何が起きようともまっすぐに平常心で前に歩き続けようと心掛けた僕の「気づき」を原稿にまとめたものだ。いつも当たり前だと思っていた風景も、視点を変えればまったく違う見え方になる。本書を通してその感覚を実感し、「フラットになる」きっかけにしてもらえれば幸いである。

 

本書の目次になります。

本書は東日本大震災以降に書かれた書籍です。

当時の報道などに対しての「モヤモヤする」部分について多く割かれています。

「不謹慎について」や「節電について」などなど。

なんか、「モヤモヤする」って人もいたんじゃないでしょうか。

おちまさとさんの思考で読むと当時のそのモヤモヤが解消するかもしれません。

 

(P.15) 東日本大震災以降、仕事でもプライベートでも、人と何気なく話をしている瞬間でも、ブログを書いている瞬間でも、僕はありとあらゆる場面で「違和感」を覚えることが多くなった。が、今の国内の状況を考えると、その違和感を声にすることはなかなか難しい。それを口にした瞬間、なんだか人に怒られそうな気がしてしまうのだ。「誰が僕を怒るのか」なんて、実際わからない。ただ、不意になんらかの違和感を覚えるたび、それをかき消すかのごとく条件反射的に「それは言ってはいけない」という言葉が頭を横切るのである。

 

違和感を声にすること。

それを口にした瞬間に人に怒られそうな気がしてしまうという部分。

今の時代だと「炎上」に近いんじゃないでしょうか。

私は「炎上」は大きくわけて2種類あると思っています。

あくまでもわかりやすくするため2種類にカテゴライズしています。

 

1つは、炎上するべくして炎上した案件。

「法律違反」なことをしている。

しかもその「法律違反」を自慢しているようなタイプです。

当たり前ですが、炎上してもっともです。

 

もう1つ、なんで炎上しているの?と思えること。

これが、最初に挙げた「違和感を声にすること」です。

簡単に言うと「堀江貴文」さんだと思いますw

堀江貴文さんってしょっちゅう炎上しているじゃないですかw

でも、あの人の言うことって炎上すること?って思うことも多いです。

ただ単に、現代の違和感を声にしているだけだと思うんですよね。

 

堀江貴文さんって多くの人に嫌われていると思います。

それも手伝って簡単に炎上していると思うんですよ。

もっとも、本人は気にしないタイプなので違和感を声に出し続けてますがw

私は「炎上」に過敏に反応して「油を注ぐ行為」はどうなのと思います。

あくまで「過敏に反応して」という部分が重要です。

それってまわりの反応に流されて反応しているだけじゃないの?

もっと、自分自身でフラットに物事を考えたほうがいいよねって思ってしまいます。

 

(P.52-53) なぜハワイに行ったら、必ず体を焼き、体を休めなければならないのだろうか。もちろん、結果的には、日焼けしてしまったり、体を休ませたりすることもあるのだが、だからといって「〇〇の場所に行ったら、必ず△△になる」という決めつけの発想は、本当に必要なのかと思ってしまう。
(中略)
そんな誰かが作った概念など、捨ててしまったほうがいい。僕には仕事も休みもない。すべてがノーボーダーであり、仕事は遊びに、遊びは仕事になる。逆に、ここからが仕事、ここからは遊び、ここからは休みと決めつけられる人のほうが僕にとっては不思議な存在だ。

 

おちまさとさんの引用のような考え方が大好きです。

私もついついこういう思考回路はしてしまいます。

だから、まだまだ反省すべき点ではあると思います。

ただ、(中略)からの後半部分と言える部分。

 

すべてがノーボーダー。

仕事は遊び。

遊びは仕事。

ここからが仕事、ここからは遊び、ここからは休みと決めない。

 

私はこの考え方に当時すごく勇気をもらえました。

今は何でも仕事で何でも遊びは自分の軸ですね。

フラットに生きる50の指針のうちの1つは自分の指針です。

 

(P.149) 国としては、誰もこれらの問題について「プロデュース」などという視点では考えていない。「予測してみる」「現実になってしまった」「さて、どうするか」と、すべてが現場主義なのだ。必要なのは、先読みを行い、起こりうる問題を懸念して先回りし、対処案を仕掛けるということ。それ以外には生き残る道はないはずなのに、一切考えない。このようなことが起こらないために、仕組みやシステムを作るのが政治であり役所であるはずなのに…このように、あまりにもずさんな計画性しか持っていないのが、日本の現状である。

 

今の時代って恵まれていると思うんですよ。

だって、パソコンやスマートフォンなどインターネットに繋がります。

インターネットを使用できる機器を持っていない人は少ないと思います。

私は政治家や国の政策を批判するのは別に良いと思うんですよ。

言論の自由ってありますし、誰かが声を挙げなければですから。

ただ、これだけ自由なんだから「自衛策」をしておこうって思います。

 

国や会社におんぶにだっこ。

何かあったら、国や会社のせいにする。

これは自分の人生を投げ出していると思うんですよ。

だって、今の時代はインターネットに繋がればいくらでも自分で何かできるから。

要は、「問題を懸念して先回りし対処案を仕掛ける」という部分。

個人でできる自衛策という観点で動くことができると思うんですよね。

 

(P.157) 感受性さえあれば、どんな場所でも、どんな環境でも、何かに気づくことができ、何かを発見し続けていくことができる。日本や世界の再編成などと言っても、この感受性がなければ何も進まないのだ。僕はこれから何が起こるか誰にもわからない未来を生き抜くために最も必要なものとして「感受性最強説」を提唱したい。

 

感受性って鈍ります。

「喜怒哀楽」って大切だと本当に思います。

感受性があると言うことは気づきのアンテナが強いとも言えます。

気づけるといろいろと生活に対して応用が効きますからね。

 

(P.171) 同じことを思っていたなら自分から言えばいいだけのことであるし、そもそも本当に意見の内容が同じであることなんてあるはずがない。「同意」と「賛同」をするとしても、少なくとも「自分がうまく言えなかった意見を代わりに言ってくれた!」「同じ意見は持っていなかったが、あらためて気づかされた」というような自分の心の動きが含まれるはずである。意見には、その人の時間や思考、立場、予算など様々なものが費やされて現れる。「僕も同じこと思ってた」なんて、存在しないのだ。そのことを無視して声高々におうむ返しを行う人間がいたとしたら、それは詐欺である。

 

こちらの引用に対して私は2つ語りたいことがあります。

まず、1つ目はブログ記事タイトルに書いたこと。

「ネタ被りも書くべし!」という部分です。

おちまさとさんは後出しジャンケンするな。

ファーストペンギンになって自分から発言せよと仰っています。

 

そこも重要なんですが、その後も重要です。

意見にはその人の時間や思考、立場、予算など様々なものが費やされて現れる。

僕も同じこと思ってたなんて存在しない。

Twitterなどを見ていると勿体ない人が多いと思うんですよ。

 

「ネタが被ったから書くのやめる」という発言。

私は本当に勿体ないと思います。

だって、人それぞれ違うんですよ?

本人は被ったと思っても私は書いたらオリジナリティ出ると思います。

 

もう1つは私が思うことです。

「意見にはその人の時間や思考、立場、予算など様々なものが費やされて現れる」

その人の思考体系ってその人が今まで蓄積してきた人生経験。

本などをたくさん読んだりセミナーなどに通って自己投資したかもしれません。

だから、料金体系(料金プラン)を否定するのってどうなんだろうと思います。

 

昨今は、有料noteや有料コンテンツが盛況です。

ただ、これに対して「詐欺」って言う人も多いのが現状です。

ここに関して私は「有料コンテンツに慣れていない人が多い」と思っています。

目先の金額だけで良い悪いを判断してしまう。

その人の今まで得た様々なものを考えた上での値段設定という部分を蔑ろにしている。

 

そもそも、「無料コンテンツ」に慣れすぎたというのがあると思うんですよ。

「ネットのモノは無料が当たり前」という感覚です。

もう1つは他人が儲けるのは嫌って感覚。

所謂、「嫌儲」って考え方です。

こういう考え方は私は覆ったほうが良いと思うんですよね。

 

私が大好きな名言があります。

マーガレット・サッチャーの名言です。

 

・お金持ちを貧乏にしても貧乏な人はお金持ちにならない

 

炎上などさせてお金持ちを引きずり下ろしてもあなたはお金持ちになりません。

一時の気分は晴れるかもしれませんが、それだけの話しです。

それだったら、今の世の中はチャンスが沢山あります。

他人を妬んだり羨んだりしている時間があったら自分がそうなる。

自己投資して自分を変えていったほうが良いと思うんですよね。

 

【フラットに生きる50の指針】

 

・まとめ

【座右の書】ネタ被りも書くべし! フラットに生きる50の指針でした。

今回の書評をしてみてもう1つのおちまさとさんのオススメ本。

ダイヤモンド社の「「気づく」技術」も読み直したくなりました。

おちまさとさんの思考回路を学べる書籍。

独特な考え方をされる方なので一読しておくの良いですよ。