【書評】 佐藤直樹の「世間教」と日本人の深層意識

・みんな一緒でラクがいい

 

 

どうも管理人のポポリッチです。
 
昔の世間は生活範囲だけで良かった。
今の世間はネットでの意見も含まれています。
 
少し前にSNSをやっていないお店のおばあちゃんの話がありました。
80代の方が店主の飲食店を有名バンドが悪口を言う。
それに対して炎上と言う出来事がありました。
 
そのおばあちゃんが炎上についてインタビューを受ける。
炎上に対してまったく知らなかったという話ですね。
ネットをやっていないから当たり前と言えば当たり前ですよね。
 
ただ、昨今の世間はそういう意味であやふや。
世間で言われていると言われても一部かもしれません。
ということで本書は「世間」について考える機会。
考察する機会にもなる1冊を紹介していきます。
 
 
 

「世間教」と日本人の深層意識 ―みんな一緒でラクがいい

 

 

 

書名:「世間教」と日本人の深層意識 ―みんな一緒でラクがいい

 

著者:佐藤直樹

 

出版社:さくら舎

 

出版年:2022年5月11日

 

ページ数:208ページ

 

 

 

私は世間にどっぷりでは無い方。
ツイートでも音声配信でも違う切り口で語る。
たまにブラック入るの好きと言われた時期もあります(笑)
とは言え、どこかで世間教もあるのが人間とも思いました。
 
 
 

・世間学を一歩進めて日本人は世間教というスタンスで語る

 

 

 

(P.4) 本書では、この「世間学」を一歩進めて、日本人は「世間教」という一神教の信者であると考えてみました。

 

 

 

【目次】
 
はじめに
 
プロローグ
 
第1章:日本人が信じる「世間教」ってなんだ?
 
第2章:「個人」と「社会」と「公共」がない日本
 
第3章:「世間教」の4つの教義
 
第4章:身のまわりの「世間教」
 
第5章:「世間教」とうまくやっていく7つの方法

 

 

 

本書の概要と目次でございます。
世間学を一歩進める。
世間教という体で紹介されています。
私なりの書評なので私見も交えつつ本書を書評していきます。
 
 
 
(P.108) コロナ禍では、マスクをすることは公衆衛生としても推奨されています。でも、マスクをしない権利もそこにはある。そこで、揉めごとが起こります。

 

 

 

ホリエモンの餃子騒動。
その話を含めて語られています。
店主の指示?
個人の自由?
法律が無いからどちらが尊重されるかという視点です。
 
マスクに関しては思うところはあります。
この思うところはマスクをするorしないとは違う軸。
そもそも、100円マスクと1000円以上のマスク。
ひとくくりにマスクとして一緒に言われているのどうなんだろう?
言われないのは一緒でも大丈夫だからならいいんですけどね…。
 
 
 
(P.132) 法的に問題がなくても、足を引っぱり合う「世間」がある限り、どうしてもタテマエとホンネの問題が生じるということでしょう。

 

 

 

これは特にネット社会がそうですよね。
インフルエンサーやユーチューバーの発言。
「えっ、これで、炎上するの!?」
そういう事案がここ数年で増えたと感じます。
 
例えば、迷惑系ユーチューバー。
法的に問題ある場合は炎上わかります。
本音を言って法律的に問題がないこと。
それで炎上が増えているという話ですね。
 
そうなってくると守りに入る人。
本音と建前になってしまいますよね。
本音をさらけ出したら法的に問題なくても炎上リスクある。
これはこれで生きづらい世の中にも繋がるかなと個人的に感じます。
 
 
 
(P.200) まず大切なことは知ることです。「世間」に自分が住んでいるということが自覚できるかどうか。そこが出発点で、その後、息苦しさを解除して、もう少し自由闊達に生きるためにはどうしたらいいか。そのために、なにをしたらいいかという具体的な方策になります。

 

 

 

何でもそうなんです。
大切なことは知ること。
知らなければ知らないまま。
知ることで攻めにも防御にも使えます。
 
昨今の世間はリアルだけでなくネットもある。
リアルでは良くてもネットではということもあります。
そのためにルールを知り楽しく活用する。
自分が息苦しくならないように使用したいですね。
 
 
【「世間教」と日本人の深層意識 (佐藤直樹)】

 

 

・法律としてはどうなんだろう?と考える

 

 

【書評】 佐藤直樹の「世間教」と日本人の深層意識でした。
 
私の昔からの基本軸。
「法律としてはどうなんだろう?」
この視点で物事を考えることがあります。
 
慣習、世間体、マナーやルール。
もちろん、意識することは大事なのは前提。
とは言え、ときにはその辺りを外して自分で考えてみる。
それが世間教にどっぱりハマらない1つの思索とも思います。