『やってる感』に惑わされていませんか?
戯言の記事になります。
やらないことを意識する。
やることを決定してやることに集中するためにやらないことを意識する。
これを聞いたら、良いことだと思うよね。
3月末までのこの間にやらないことを決めてバッサリいろいろ減らした。
具体的に書くとブログに集中するためにネット関連のことをいろいろ切り離した。
たとえば、今はブログは、2014年から本気出すのみ。
Twitterもブログとのアカウントのみ。
もっと言えば、ネットで使ってる名前もこの名前のみ。
一時期、リスク分散の話題をよく見掛けた。
自分もリスク分散って考えは持った方が良いと思う。
しかしながら、集中する時期も大切だと思っての一極集中だね。
リスクが薄い時期にリスクを考えてるより充実させる方が大切。
ここら辺はやり方だったり考え方は人それぞれある。
正解、不正解のあることじゃないと思うからね。
それで、やることを減らしてみての今の現状で思ったことを書いてみる。
『やってる感』という呪縛
やることを減らす。
そうすると必然的にやれる時間は増えるよね。
その時間を有効活用できればいい。
しかしながら、その増えた余った時間が不安になるときがある。
不安というか、何もやってないんじゃないだろうかという感情ね。
これを、『やってる感』という呪縛と言ってみる。
たとえば、読書をしてる人が、
「自分の身になってなさそうだし乱読するのをやめる」
こういう風に決意した。
1日5冊読んでたのを1日1冊に減らした。
5冊読んでたから1冊しか読まないと少なく感じるよね。
「もっと読めるんだし読んだほうがいいんじゃないんだろうか」
こういう風に思う人はまさしく、『やってる感』の術中にはまってると思う。
人間、何もしないよりは何かをした方が安心するのかな。
それが自分自身が、必要なさそうと感じて減らしたことでもね。
自分もこの、たとえばの話のように、集中することを見つけて必要なさそうな時間を減らしてるのにそういう風に今は感じてる。
もっともそれなら集中してやることをもっと意識してやれなんだけどね。
ごもっともです。集中してやろうとすることに集中し切れてない。
こう言われても仕方が無いのかなって言うこともできる。
『やってる感』
自分自身は必要性を感じてないことなのに惰性的に続けてしまう。
そのまま継続してたらそれはやってる感の呪縛かもしれないですよ。
まとめ
何もしないよりは何かをしてた方がマシ。
『やってる感』という考え方を持ってから、
このことについてどうなんだろうって思ってしまった。
やること。やらないこと。
ここの2つを考えることはすごく大切。
そのときに『やってる感』という呪縛を解き放てるといいよね。
特に毎日いろいろする人はやらないことを意識するときに出てくると思う。
戯言だけどね(* ̄(エ) ̄*)